プロフィール
子供の頃から機械いじりが好きでした。
実家は運送会社を経営しており,その当時は服部時計店(現在のセイコー)の荷物を預かり運送しておりました。
ガキの頃兄貴といっしょに倉庫に忍び込み,目覚まし時計を数個盗みだし,分解しては歯車を取り出して遊んでいました。
もちろん,オヤジからは何度も大目玉を食らいましたけど。
その頃から自然と精密機械に慣れ親しんできたのでしょう。
中学の頃,サイクリングスポーツが流行し,ご多分に漏れず私も自転車の世界に入り込みました。
一人で分解整備,組立て,町の小さな自転車屋より知識があり,駆動部から異音がすれば,どのパーツが悪いかを内部も見ずにぴたりと言い当てることが出来るほどになりました。
もちろん,そこに至るまで何度も部品を壊し,工具まで破壊したことがあります。
運送屋という環境から自動車部品が実家に散らばっていたので,サイズの合うボルトやネジを工夫して壊したパーツを元に戻すなんていうことは日常茶飯事なことでした。
今でも自宅の物置には当時の自転車部品が眠っています。(シマノもカンパもあるで)
学生時代はスキーに没頭し,ゲレンデ(五竜とおみ)のスキーレンタルショップでバイトをしたり,町中のショップ(アルペン)でビンディングの取付をやったりの日々でした。
スキーを手作業でチューニングすることが日課となり,友人や知人のスキーもチューニングするようになり,「職人」と呼ばれて有頂天になっていた時期です。
22歳で大学5年生在留のまま,最初の就職先に就きました。
鉄鋼関連の商社でしたが,商社とは名ばかりで問屋さんと言う方がいいでしょう。
金属全般の母材を扱う商売で,私は特殊鋼課に配属され,主に鋼(熱を加えると焼きが入る鉄),非鉄金属(銅,アルミ,真鍮など)を扱う専門家となったのです。
仕事の内容は外見はネクタイを締め,スーツを着ていましたが,鉄工所や鋼材倉庫に出入りし,実際は鉄サビと機械オイルにまみれた内容でした。
文系を出たのにも関わらず,毎日機械図面とにらめっこ。
三角関数が役に立った時代でした。(笑)
退社するまでの6年間で,金属の特性や金属加工の知識が身に付き,「特殊鋼販売技師」というありがたくない資格も取得したのです。
金属劣化や磨耗,オイルの品質や状態などはこの頃に感覚で覚えた事柄です。
最初の会社を退職してあちらこちら放浪したあとに,実家に呼び戻されて,現在の管理人という職業に就きました。
管理人は管理人でも左うちわで経営しているどこかのアパートのオヤジと異なり,マンションの部屋内やビルの維持管理を自分でこなすことが課題となりました。
時には電気設備,時には消防設備,水道の修理などなど....
最初は出入りするリフォーム業者の後ろに着いて回り,職人のテクニックを盗んだものです。
それから自分で取り組み始め,多くの失敗をしました。
新製品の洗面台を壊してしまったり,電気をショートさせてやけどを負ったり。
そのうちなんとなく悟るようになりました。
「プロってごまかすのがうまい人を言うんだなあ」って。(爆)
今ではガス以外の作業は一人で出来るようになり,資格も幾つか所持しています。
責任ばかり増えるので欲しく無かったです。(泣)
職業柄,住人さんやテナントさんが引っ越しや模様替えの際に廃棄していく家庭,事務用品に多くお目にかかります。
けっこうきれいでまだ使える物が多く,もったいないという気持ちが高まったため,平成10年に古物商の免許を取得し,これらの廃棄物を自分で整備,安価に販売するようになりました。
これが沖磯屋のスタートになりました。
やってみると出てくる出てくる,狭い事務所が未整理の日用雑貨,事務用品で埋まってしまうほどです。
仕入れは殆どただに等しい物ばかりですが,きっちりと整備清掃をやっていますので,整理するにはまだまだかかるでしょう。
業務用洗剤,化学薬品,機械オイルにまみれた毎日が今でも続いています。
釣りを本格的に始めたのが今の職に就いた頃。
主に海釣りが主体ですが,時々河川でバスもやります。
Abuに興味を持ったのが1年前。
故開口健氏著書の作品で以前から聞き及んでいましたが,高価なのと,必要ないという思いから手を出すには至りませんでした。
最初の1個を購入したとき,その機械の精密さ,歴史の重みに不思議な感動を覚えました。
それから,いろんな種類が欲しくなり,とうとうビンテージの世界にのめり込み始めたのです。
資金不足で苦しんでます。
今では両足つかってるかなあ?
沖磯屋
平成10年7月設立
個人のお店です
現在買い取りは基本的に行っていません。(未整理品が多すぎるため)
委託販売でもやろうかなと考えています。
代表 川田 世二
取得資格:危険物取り扱い主任者
消防設備士
古物商許可 etc...
2000年10月記述